概念は覆され、価値観はアップデートされ続ける。道を極める真っ只中の二代目の目を借りて知る、匠の景色──石山人工房・三輪崇<後編>

誰もまだ踏み入れたことのない領域へ、無我夢中に挑むからこそ得られる気づきがあり、見ることができる景色があります。しかも、それが「伝統」という大河の中であれば、歴史や先人といった要素も加わり、なおのこと外から触れる機会はほとんどありません。石の器を作る二代目石山人さんの目に映る世界の一端を垣間見る、そんな貴重な機会をいただきました。

二代目石山人 三輪崇さん

炎と石で器を作る陶芸家「石山人工房」二代目。黄綬褒章を受賞した現代の名工・初代石山人・所一郎氏に2015年より師事し、2015年に二代目を襲名。岐阜県羽島市を拠点に自然界磁気岩(火成岩)の中から選び抜いた岩石を切削・成形後に高温焼成する独自の技法で抹茶碗や酒器、花器など石の器の制作活動を行う。東福寺塔頭光明院での展示、銀座三越やパレスホテル東京での個展・展示も開催。

(※記事内容は取材当時の情報です)

概念を覆される、石のありのままの姿

製材されていない石を手にすることで、初めて知った石の本質と師匠の思い

──器作りの工程を見せていただき、ありがとうございました。

(前編)石を削り、溶かし、曲げる。太古の地球からの贈り物“石”が望む姿を「器」に映して
(中編)全ての伝統は、最初スタートアップだった。石を曲げて器を作る二代目が挑む「歴史作り」

10年以上の歳月をかけて唯一無二の技術を習得し、極めていくと、きっとその間にさまざまな試練や気づきがあったかと思います。中でも何かターニングポイントになったような出来事はありましたか?

岩って、ゴツゴツしているイメージがありませんか?

──そうですね。ゴツゴツ、ボコボコ、ザラザラ…そんな無骨なイメージです。

実は、石は割って割れたところを見ると結構鋭利なんです、ガラスの破片みたいに。そこが石らしさであり魅力でもあります。例えばこの器も、石の割れたところとサンダー(金属や石材を切る機械)でザンザンッと切ったところがあるでしょ?

──はい。側面がボコっとしているところと、切ってフラットなところがありますね。

僕、昔は石を切るのが嫌だったんです。せっかくゴツゴツと岩っぽく割れているのに、なんで師匠はそういう部分を敢えてサンダーで切るんだ、わざわざ手を入れるのはどうしてだろうと。膨らんだところを切ることは、石のゴツゴツとした魅力を生かしきれない仕事だと思っていたんです。

だから自分は決して切らずに、できるだけ"割れ"でやっていこうと思っていたんです。でも、師匠が亡くなってから自分で石を取りに行かないといけない時があって、その時に落ちている石を見て…発見したんです、師匠が岩を切っていた意味を。

──それは何だったのでしょうか?

これが原石です。

見てください。すごく直線的に割れていませんか?これは自然に割れた形なんです。

つまり、岩がゴツゴツしているものだというのは、実はただイメージの話だったわけです。実際に現場に行くと、この岩の美しい面や鋭いエッジに気づくんです。これは岩が自然に割れてなった姿であり、師匠が削っていたのはこの形だったんだと気づきました。

──切ることで、自然界の岩のまっすぐな割れを表現していたんですね。ただ、師匠はそれを言葉では教えることはなかった…。

それまでは製材された石しか見ることがありませんでした。だから気づくこともなく、自然の石はゴツゴツとしているものだとばかり思い続けていました。でも現地に行ってみたら、石はこんなにも直線的で美しい面を持っていた。もちろんゴツゴツしているところもあるけど、そのコントラストが魅力ですね。

──直線的な断面が人為的なものではなく、自然な状態だとは意外です。

師匠が亡くなられてから気づきました。師匠が石を切ったのはあくまでも膨らんだところを削るだけではなくて、石本来の姿であったりその美しさを出したかったのだと。我ながら気づくのが遅いなと思いながら(笑)。

この曲線って、すごいと思うんですよね。絶対に人の手では作り出せないのだけれど、できるだけこれくらい近づけたい。それがこのフラットな面なんですよ。

だから師匠は、やっぱり作為がありつつも、その作為の奥に、向こう側に、原石の形を見ていたんです。

──その気づきが石山人さんにとって、かなり大きな出来事だったんですね。

このことに気づいた時の感動は、やばいです。この微妙なカーブの美しさ、これに気づけるか気付けないかは、僕にとって大きなターニングポイントだったと思います。

体に経験を足し続けた先に見える世界に想いを馳せて

決して一足飛びで習得はできない師匠の技

──極めていったからこその気づきというか、"ただそこにあること"に大きな気づきを見出せることが極める人ならではの目線だと思います。他にも、見聞きして頭で理解するのではない、身体知のようなものが色々とありそうですね。

あります、あります。

──身体知とはどのようなものか、具体的に教えていただけますか?

僕の中では、さっきお話しした足し算の美学がそこにあると思っています。

──先代が表面には見えない石の目を把握して、一発で割るお話ですね。その領域に至るには、時間と経験の足し算でしか道はなく、掛け算にはならないとおっしゃられていました。

師匠もスパッと石の目を見抜いて割る、あの域に達するまでには長い時間がかかったと思うんですよ。それまで散々失敗していたはず。でも失敗の先に、ちゃんとあの到達点に到達したと思うと、やっぱりまたそこまで戻ってこないといけないなと思いますね。

でも超えるのはそんなに簡単ではなくて、13年でできるかという問題じゃないですね。やっぱり時間と経験。絶対掛け算にはならないんです。一つずつしか足していけません。百回足して百にする、千回足して千にする…その足し算をずっと続けていく上にしか立てないものがやっぱりあるんです。

石の目が分かる師匠は、僕が石を見てきた数百回とは桁が違う。3桁も4桁も違う、だからできることがきっとあるのだと思うんです。僕はまだ13年。これから10年、20年と時間をかけて石を見られるようにならないといけないと思っています。

──大変そうにも思えますが、楽しそうですね。

ええ、とっても楽しいです。

石の器が導いてくれた、日本文化への視座と人との出会い

日本の「当たり前」に感じる尊さ

──直接的に石に関わること以外にも、10年以上石と向き合ってきたことで、何かご自身の人生や思考に影響や変化を感じるものはありますか?

日本の美しいものや大切にされてきたものを、どうしてみんな気にしないのかなと思うんです。日本には何百年も時には1000年以上も守られてきた「不易」のものがあるはずなのにおざなりになっていって、海外の流行に流されていってしまう。それがすごく怖いですね。

──確かに海外で流行ったもの=良いもの、という価値観や風潮は根強い気がします。

海外にある良さは、それはそれでいいと思います。ただ、それで日本の良いものがおざなりになるのは違うはず。良いものをしっかりと「良い」と言い続けていこうという話です。

私は新潟県の村上市に住んでいますが、毎月県外から人を招くとみなさんとても地域を楽しんでくれるんです。そう考えると、もっと日本は行っておかないとと思う場所がたくさんあるなと思います。当たり前のように食べ物もおいしいですしね。

そうなんです、日本の当たり前が海外では当たり前ではないことがたくさんありますよね。水だって日本ほど美しくおいしい国はありません。伝統工芸もですが、日本の風土自体とても価値が高いものだと思うし、そこを改めて見据えていかないといけないと思っています。それはこの石の器を作るようになって感じるようになりました。

──石の器そのものや技術的な部分以外に、もっと大きなスケールで視座が変わられたと。

これは日本の伝統の世界に足を踏み入れたからこそ生まれた気づきだし、この13年続けてきた中で生まれた自分の宝物だと思います。この器を通して、この器のおかげで、この土地の魅力を肌で感じられるようにもなりました。

何より、器作りを通してさまざまな人と出会い、初めてこの価値に気づくことができたことは、実は一番の喜びなのかもしれません。

──器作りそのものよりも、人との出会いや気づきの方が意味が大きいと。自分の芯となる生き方や価値観が見つかるというのは、素晴らしいことですね。

僕が恵まれたのは「人」だと思います。器を作ることで茶道などの文化と関わるようになりましたが、その中心にいる方々は、非常に魅力的な方々ばかりです。

日本の真の部分の良さを体現している、そんな方たちとのたくさんの出会いは、石の器と同じくらい自分の宝物になっていますね。だから物を通して人を知るというか、その価値を知る。それもこの仕事の一つの大きな魅力だと、僕は感じています。

──人との出会いから価値観がアップデートすることにこそ、喜びがあると語る石山人さん。そんな日々磨かれている感性が生み出す石の器は、持つ人に石が太古の昔から静かに紡ぎ続けてきた物語の続きをゆだね、そしてきっと持つ人の感性を豊かに磨いてくれることだろう。