徳川家の栄枯盛衰に翻弄された、静岡の鋳物文化の行方

「伝統産業の担い手が減っている」「数百年の伝統が途絶えてしまった」

生活様式が変わり、価値観が変わり、環境が変わり、何百年と続いてきた伝統産業の中でも、途絶えてしまった技術や文化は少なくありません。

400年以上の歴史がある静岡の鋳物文化も、そんな危機が差し迫ったことがある文化の一つ。今に至る途上では徳川家のお膝元だからこその盛衰の物語があったようです。

栗田圭

栗田圭

1890年創業の鋳物メーカー栗田産業株式会社取締役副社長 5代目。射出成形機向け部品や産業用ロボット向け部品などを製造するBtoBビジネスに加え、自社ブランド「重太郎」を立ち上げる。江戸時代から続く静岡の鋳物文化を継承するべく「しずおか鋳物」のブランド化にも尽力。

*Article content is based on information at the time of the interview

激動の時代、1社にまで激減した静岡の鋳造所

徳川家康が生涯3度拠点を置き、権勢を振るった場所として知られている静岡。江戸時代には現在の静岡市葵区に鋳物師町というエリアができ、家康お抱えの鋳物師たちが活躍していました。

このお話はぜひ、バックナンバーをぜひご覧ください。
徳川家康×ゴジラ~静岡で見つけた「好き!」が繋ぐ伝統~。

▲駿府城公園の徳川家康像

▲鋳物師町があったことを伝える石碑(静岡県葵区横田町)

しかし、明治維新が起こると静岡が幕府直轄領だったことで、鋳物師たちを取り巻く状況は一変。新政府の治世になると、静岡の鋳物職人や鋳造所は幕府という一番のクライアントを失う形となり、続々と倒産。明治23年にはなんと静岡市内に鋳物屋は1軒まで減少してしまっていたそうです。

伝統産業に新たな歴史を作った18歳の立役者

そんな風前の灯だった静岡の鋳物文化に力強い新風を巻き起こしたのが、栗田鋳造所(現在の栗田産業株式会社)。明治23年に、東京での奉公を経て故郷にUターンした18歳の栗田重太朗さんが創業した会社です。

▲創業130年を超える栗田産業

ここが、静岡の鋳物業界にとって大きなターニングポイントになります。

鋳物屋として生活用品の生産から始まった栗田鋳造所は、近代化に伴い工業製品も手がけるようになり戦前は織機、現在はプラスチック製品を作るための射出成形機や産業ロボットのパーツなどを生産。静岡市内で一番古い鋳造所となり、世界的な電気自動車メーカーの生産ライン用ロボットの素材開発に携わるまでに成長しています。

さらに創業者である重太郎さんは自社の経営だけではなく、鋳物の技術を教えて回り、鋳物組合立ち上げにも奔走するなど、地元の鋳物産業の発展に貢献していったのでした。

利己に走らず周囲を巻き込みながら産業全体を盛り上げていく。重太郎さんの働きが今日の静岡の鋳物業界の礎を作ったと言っても過言ではないでしょう。

世代を超えて地域に尽くす『重太郎』のDNA

そして時代は巡り令和の現在、重太郎さんのひ孫で栗田産業5代目副社長の栗田圭さんは、静岡の鋳物産業のルーツとなる徳川家康へ敬意を胸に、新しい活動に取り組んでいます。

▲栗田圭さん

「静岡の鋳物の歴史は家康公によって栄え、そのおかげもあって今私たちも商売をさせていただいています。その家康公ゆかりの産業ということで、何か鋳物で文化財の維持・修繕に役立てられないかと」と圭さんが始めたのが、家康が若い頃身につけていた甲冑・金陀美具足(きんだみぐそく)の関連商品づくり。金陀美具足とは、家康を取り上げた大河ドラマが放映されると話題になるほどの、煌びやかな金色の甲冑です。

▲栗田産業が鋳物で再現した金陀美具足。社屋には原寸大のレプリカもある。

「本物の金陀美具足が奉納されている久能山東照宮(静岡市)は、全国でも珍しい国宝級の宝物が2000点以上所蔵されています。つまり江戸時代のトップが使用していたものの歴史を継ぐ=日本の歴史そのものであり、守ることを使命としている場所。金陀美具足関連商品の売り上げの一部は、久能山東照宮の文化財保護のために寄付しています」

▲久能山東照宮

さらに2019年からは従来のBtoBのものづくりの枠を超えて自社商品ブランド『重太郎(JUTARO)』を立ち上げ、さらに静岡県の鋳物文化を「しずおか鋳物」と命名して静岡のPRに繋げ、静岡に貢献することを目指す圭さん。

▲『重太郎』のビアグラス。栗田産業では鉄で鋳造を行っていましたが、それだけでは作られるものの幅が限られるため、『重太郎』では錫を使用。鉄と錫では製造技術は同じでも、型の砂の種類も原料を溶かす温度も違うため試行錯誤を重ねたそう。

鋳物の製造工程①木枠の中に製品の型を置いたら砂を敷き詰める。

鋳物の製造工程②素材となる金属を溶かして、注ぎ口から型に流し込む。

鋳物の製造工程③製品が冷えて固まったら木枠を外して砂を払い、余計な部分を削り落とす。

明治時代に重太郎さんがただ鋳物製品を作って売るだけではなく、鋳物で静岡を盛り立てる地域奉仕に邁進していたように、伝統産業を通じた地域への貢献に励んでいる圭さん。

伝統を受け継ぐ物語には、絶えず、道を拓くパイオニアたちの存在があり、彼らの心意気と挑戦とが新たな歴史のページを築いていっているのだと感じました。

一言で100年、200年といっても、今日に至るまでには伝統産業一つひとつに唯一無二のドラマがあります。ものに惚れ、人に惚れ、ストーリーに惚れる。伝統産業には、そんな出会いの魅力が溢れています。