数百人から、島内4人へ。宮島ろくろを継承する29歳職人の覚悟──下村祐介<後編>

広島・宮島。厳島神社の参拝客で賑わうこの島で、伝統を引き継ぐ若き職人がいる。 下村祐介さん、宮島轆轤(ろくろ)の職人は、島内でわずか4名。最盛期には数百人いた職人たちだが、時代とともに姿を消しつつある。 下村さんは、70年前の轆轤(ろくろ)と、先人が残した技術と材木で、木工作品の新しい可能性に挑戦している。「使えるものを作る喜び」に魅せられた青年が、伝統の灯を絶やさぬために選んだ道とは。

下村祐介さん

1996年生まれ。三重県出身。広島市立大学芸術学部(漆造形分野)を卒業し、大学院まで漆工芸を専攻。卒業後は広島県廿日市を拠点に活動し、宮島の島内で暮らしながら木工作品を制作しつつ、廿日市の地域おこし協力隊(伝統工芸継承担当)として宮島細工の普及・継承も行う。

(※記事内容は当時取材の情報です)

#3 「見て学べ」の時代を超えて。師匠が教えてくれたこと

84歳の現役職人が、弟子に託した想い

── 下村さんはどういう経緯で、この道に?

小さい時からものづくりがとにかく好きで、図工の時間が大好きとか、工作が好きっていう子供でして。

大学は美術系の大学に行きたいという思いがあり、特に美術の中でも立体を作りたいという思いが強かったので、工芸科か彫刻科を希望し広島市立大学の芸術学部デザイン工芸にいきました。

そこで漆造形という分野、漆を専門とするコースを選んで、その中でこの宮島轆轤 (ろくろ)に出会ったという経緯です。

── 轆轤 (ろくろ)を始めた一番のきっかけは何だったんですか?

美術、芸術系の大学を目指して、デッサンとか作品作りをしていました。それまでは絵を描いたりしても、飾って評価されるだけで、実際に使えたりするまで行けなかったんです。

轆轤 (ろくろ)をやった時に、急に作ったものが実際の暮らしの中で使えて、販売したり、売ったりして、誰かに使ってもらったっていう経験が、すごく自分の中では楽しくて衝撃的でした。

「轆轤 (ろくろ)っていいな、使えるもの作って楽しいな」ってなって、この轆轤 (ろくろ)の道に行きたいという風に思いました。

──そこから、職人を目指されたんですね。

やっぱり仕事にしたいと思ったので。大学卒業して、大学院の途中で工業高校のインテリアデザインコースを教える非常勤講師にひょんなことからなりました。

大人に木工だったりデザインだったりを教えて仕事を3年間ほどやりながら、自分で工房を構えて。

そうこうしているうちに、廿日市から地域おこし協力隊で、宮島の伝統工芸をPRしたり、職人を目指したい方を募集しますというお話を聞きました。

「もう職人を目指すなら、もうこのタイミングしかないな」と思って、教員をあっさり辞めて、その地域おこし協力隊に応募しました。

まずは今、このお家も含めて宮島に住むところから、市のバックアップ、宮島細工協同組合の力も借りながら、職人を目指して勉強中というところです。

── 師匠との出会いを教えてください。

大学の授業の中で、広島の地元の伝統工芸を学ぶ授業があり、今の師匠の藤本さんという方に出会いました。

ただし、藤本さんの工場も人を育てられるだけの余裕はないというお話をされてたので、弟子入りっていうのは難しいけど、作家として宮島轆轤 (ろくろ)を続けていて欲しいって、そんな風に言われてたんですね。

──師匠はどんな方ですか?

すごい、本当にザ・職人さんって感じのおじいちゃん。 今年84歳なんですけど、優しくてとにかく教えるのが好きな方という印象があります。

師匠の時代って「見て勉強しろ」の時代だったって、やっぱり口酸っぱく言われて。

16か17歳から今84歳なので、もう60年70年近くずっと轆轤 (ろくろ)の仕事をされているんです。 とにかく仕事も早いし、綺麗だし、轆轤 (ろくろ)に人生を捧げていると言っていいほどの凄さがあります。

やっぱり体がどんどん轆轤 (ろくろ)用になってくってというか。サンドペーパーを当てて磨くので親指が、すごい曲がるんですよ。

轆轤 (ろくろ)が大好きで、轆轤の面白さを伝えたい、育てたいって思いがすごく強い方で。

だから私が工房を構えた時も、宮島に移住して職人を目指すと言った時に、とても喜んでいただけて、とても応援していただいています。

その師匠の思いを引き継いで、いい職人になれるように頑張らなくちゃいけないという感じですね。

── 師匠との印象的なエピソードはありますか?

印象的なというか、すごくプライベートなところとか、すごいしょっちゅう連絡が取れるところですね。

それこそスマホの使い方とか、「え、それ電話する?」みたいなことでも電話してくれたりとか。(笑)

── 工程で難しいところや師匠との違いを感じる部分を教えてください。

一番難しいのが刃物ですね。師匠にもとにかく「お前は刃物を、しっかり切れる刃物を作る」っていうのを言われてますね。刃物が命っていう風にもう言われます。

全く同じ形を何十枚も作っているが、これからの課題です。

師匠との違いはやっぱり作る速度と、あとやっぱりその仕上がりの綺麗さというか。

なんだかんだ、最後の最後、逆目がやっぱり出ちゃったところとかもペーパーでごまかしたりするんです。

そのごまかしを、師匠は刃物でしっかり削るので、仕上げるまでの速度も速いし、やっぱり仕上がりも綺麗っていうのはありますね。


#4 木目を生かす「拭き漆」

何度も塗って、拭く。素地の美しさを引き出す技

── 漆を塗る工程について教えてください。

木目をそのまま活かせるのが宮島ろくろの特徴なので、漆は塗ってるんですけど、「拭き漆」というのを塗って、そのあと拭き上げて木目が残る仕上げをやっていきます。

──素敵な味ですね。

これは黒漆を塗ってます。 黒漆を塗るとかなり焦げ茶っぽい色になりますね。 っていうのも、普通の漆って茶色なんですよ、赤茶色っぽい色をしてるんですけど。

黒は漆の中の鉄分だったりとか、そういう反応させて黒くしているみたいで。

普通の漆はもう樹液を精製したそのままの色ですね。で、逆に赤い漆とかは顔料を入れて赤くしてます。

──塗りの回数は?

拭き漆なので大体5、6回くらいですかね。漆塗りに比べれば全然少ないです。

かなりつや消しにこだわってまして。つや消しの作品とかをやりたい時は、1回の塗り抑えるっていうこともやってます。

──塗りの難しさやこだわりなどありますか?

あとあと拭くんで、結局轆轤 (ろくろ)で作った傷とかが漆で隠せないっていうのがありますね。なので、轆轤 (ろくろ)で綺麗にできていると、漆を塗った後も綺麗に仕上がります。

こだわりは、木の中に吸い込んだ漆だけを残して表面を拭き取ることで木目がはっきり見えた仕上がりになります。

なので漆塗りに比べて塗膜は薄いんですけど、轆轤(ろくろ)ではかなり広葉樹で硬い木を使うので、ある程度物としてはしっかり成立しますね。

── 宮島轆轤 (ろくろ)では、昔から漆を塗ってたんですか?

昔は漆を塗ったということはしなかったようなで。

なんで僕の作品でも、ランプシェードだったり、大きめのお盆とかは、本当に染めただけとか、全然塗りも染めもせずにもう仕上げ切っちゃうということをやったりもします。

ただ、お皿とかだとどうしても洗い物をしたりとか使うものなので、漆なり、ウレタン塗装なり、ある程度の仕上げはやっていきたいです。使いやすいように作っていけたらいいなと思ってます。


#5 宮島の伝統を、現代の暮らしの中へ

コースター、ランプシェード、汁椀。新しい形で現代に受け継ぐ宮島ろくろ

── 下村さんの作品を見せていただけますか?

宮島轆轤 (ろくろ)の製品は、基本的に木目がそのまま生かされるような仕上がりのものが多いです。例えば、お盆だったり茶托が多いんですけど、それらをちょっと現代的にアレンジできればという思いで作っています。

例えば、従来の茶托ですが、煎茶用のお茶、湯飲みしか入らなかったりします。 そこで、ガラスコップやマグカップなど色んな物が入るよう縁も抑えたデザインで作成しています。

同様にお盆も、縁を控えめにして、適当に仕上げたりしてます。現代の暮らしに馴染んでいきたいなということで色々考えて作ってます。

──も作られてるんですね

宮島では昔からはこういうお椀物って作られてはこなかったんですけど、木の器としては汁椀だったりというのは、用途的に理にかなっている部分があると考えています。需要もあるということで、積極的にそういったお椀物も作ってます。

──ランプシェードも?

私の作品の特徴として、ランプシェードも作っています。

LED電球だと熱くならないとか、火事になる心配がないとか、インテリアに展開するような感じで、こんな作品も作ったりしてます。

── 今、宮島轆轤(ろくろ)の産地はどんな状況ですか?
島内だけで言いますと、今僕合わせて4人ですね。

最盛期、昭和の終わり頃とかだと、それこそ100人以上、数百人単位で職人がいたって言われてるんですけど、ものすごい勢いで衰退してまして。

だから、僕1人じゃなくて僕の工房をきっかけに、また新しい子たちや若い世代を育てていかなきゃいけないっていう思いはありますね。

──これから、宮島轆轤(ろくろ)をどう繋いでいきたいですか?

やっぱり大学の授業がきっかけで、宮島轆轤(ろくろ)に触れて藤本さんと出会って。

一瞬、他の産地とかもよぎったんですけど、やっぱり僕は宮島轆轤 (ろくろ)がきっかけでこの轆轤 (ろくろ)の面白さ、木工の面白さに出会えたんです。

やっぱりここで産地に対して恩返しをしたい部分があったので、宮島で頑張っていきたいと思います。