農業禁止、神の島「宮島」で生まれた産業。宮島ろくろの現在地──下村祐介<前編>

広島・宮島。厳島神社の鳥居がそびえ、島全体がご神体とされるこの地では、かつて農業が禁じられていた。産業を持てない島で、あるお坊さんが木工を提案したのが島の産業の始まりだという。江戸時代末期に生まれた宮島轆轤(ろくろ)は、宮島でしか見られない二枚円盤の機構を持ち、今も70年前の機械が動き続けている。その轆轤を受け継いだ若き職人、下村祐介さんに話を伺った。
下村祐介さん
1996年生まれ。三重県出身。広島市立大学芸術学部(漆造形分野)を卒業し、大学院まで漆工芸を専攻。卒業後は広島県廿日市を拠点に活動し、宮島の島内で暮らしながら木工作品を制作しつつ、廿日市の地域おこし協力隊(伝統工芸継承担当)として宮島細工の普及・継承も行う。
(※記事内容は当時取材の情報です)
#1 農業禁止、神の島で生まれた産業
厳島神社の杓子(しゃくし)が繋いだ島の命
── 宮島轆轤(ろくろ)の歴史について教えてください。
宮島轆轤(ろくろ)自体は、江戸時代の終わり頃から始まりました。

轆轤(ろくろ)以外だとしゃもじが宮島の工芸品で有名だと思いますが、宮島のしゃもじ、宮島轆轤(ろくろ)、それと宮島彫という彫刻の3つを合わせて「宮島細工」って呼んでるんです。
最初はしゃもじが観光の始まりで、厳島神社の参拝のお客様に向けて作り始めたのが最初と言われます。

── 厳島神社の弁財天の琵琶に似て、しゃもじを考案したという話がありますね?
しゃもじなのですが、元々「杓子(しゃくし)」という言葉が変わってしゃもじという言葉になってます。しゃもじそのものが、市杵島姫命という厳島神社の本社に祀られている女神様の持っている琵琶の形から、ご飯をすくうしゃもじの形を考案したと言われています。
つまり、しゃもじの形というが、もしかしたら宮島が発祥なのかもしれないんです。

──戦争の時代に、しゃもじや轆轤(ろくろ)が売れたという話も聞きました。
縁起物として大杓子がよく作られたという歴史がありますね。
ご飯を掬う= 「敵を召し捕る」という意味合いから、実際に使うしゃもじというよりか、野球の応援用に使ったり、必勝祈願・家内安全って書いたり、されました。
また、轆轤(ろくろ)で作った土台に宮島彫という彫刻を彫っている人たちが、軍人さんたちへの賞とか称号みたいなエンブレム的なものを彫って作って贈呈する。そういうお仕事があったみたいです。
太平洋戦争の後も、アメリカ向けに軍事関係の紋章的なものを作って輸出した歴史もあって、仕事がたくさんあったということを聞いたことがあります。

── それらの木工が宮島で盛んになった理由はあるのでしょうか?
鳥居があって、島全体がご神体っていう考え方だから、昔から島で野菜とか育てちゃダメだったんです。
畑ができない、農業が禁止されているので、島の産業がなかなかないですね。
あるお坊さんが、島の産業として木工産業をやったらどうかと考案して、作り始めたのが最初と言われています。
木工の発展には、地理的な理由も深く関係しています。
宮島の対岸が木材の集積地として、きこりさんとか山師さんがたくさんいらっしゃった地域だったので、そこから木材の流通が江戸時代の頃から比較的簡単にできました。
作って売る場所としての宮島で対岸が材料の集積地という、相対的に木工がとにかくしやすい場所だったと思います。

── では素材の木は宮島以外のものを?
はい。宮島の材料はほとんどなくて、やっぱりご神体だから切っちゃダメっていうのが昔からんです。
だから私も今も廿日市の材木屋さんで木材を仕入れてるので、基本的には宮島以外の中国地方の木を使ってるんだと思います。
#2 宮島だけに残る、二枚円盤の轆轤(ろくろ)
足で踏み出し、速度を操る。伝統機械との対話
── これが宮島轆轤(ろくろ)の機械なんですね。
そうなんです。中に円盤が2枚あり、これが逆回転をして真ん中の軸に動力を伝えて、軸が動くという仕組みです。足踏みのペダルで軸が円盤に従って回転して、速度が変わるんです。

──足で速度を調整できるんですか?
はい。削っている時に、ガンガンいきたい時は踏み入れたら早く削れるし、最後だからゆっくり慎重に削りたい時は、足をゆるめるとゆっくり回ります。
この円盤2枚の間に軸を噛ませて速度調整ができる機構が、宮島のロクロの特徴で宮島独特のものなんです。
手足全身使って轆轤(ろくろ)の作業ができるっていうのが特徴だと思います。

──どうして宮島でこんなに複雑な機械が発達したんでしょう?
広島自体が工業が盛んだったっていうのもあるんですけど、宮島では轆轤 (ろくろ)で作る製品が、お盆とか大きいものを作るのが得意な産地だったんです。
大きいものを回さないといけないから、その分トルクが必要で。この円盤2枚に対して真ん中に軸を置いて、ハイトルクで守るような機構になったのだと思います。
大きいものって回転させる際、自然と外側がすごい速度になるんです。そこまで高速回転させなくてもいいので、この機構になったという風にも聞いたことありますね。
よその産地だとベルトで直接モーターと軸をやって、速度調整がモーターのプーリーのサイズで変えるか、今だとインバーターで調整しちゃうんですけど、速度調整がし短い機構なんです。
宮島は足踏みで速度が変えられるという、当時だとすごい先進的な道具だったんだろうと思います。

── この轆轤 (ろくろ)は、どうやって手に入れたんですか?
今いる宮島の家は、もともと轆轤 (ろくろ)の職人さんが作られたお家だったんです。轆轤 (ろくろ)も材料もたくさん家に眠っていました。
その家の大家さんが、轆轤 (ろくろ)や材料を活用してっていう思いがある方で。ちょうど僕が宮島で轆轤 (ろくろ)の職人を本気で目指したいというタイミングで大家さんとご縁があり、轆轤 (ろくろ)も材料も引き継ぎました。
──どれぐらい古いものなんですか?
築70年って聞いてるので、たぶん70年くらい前の道具なんだと思います。
──もともと、この轆轤 (ろくろ)を使われてた方はどんな方だったんでしょうか?
大きいを作るのが得意な方だったと聞いてます。表には3尺(90cm)のお盆があるんです。この轆轤(ろくろ)でそれができてたってことは、僕もそれができなきゃいけないって……先人からの緊張みたいなものの下、日々制作をしています。
大きなお盆は、旅館の新築祝いや開業祝いで、景気がいい時代によく売れていたらしいです。
