傘に託す、106年の記憶|「雨を凌ぐ道具」から「人生を彩る一本」へ ──藤田屋・藤田 大悟
大正8年創業の老舗傘屋「藤田屋」一時は途絶えかけた歴史を継ぎ、静岡の伝統工芸を纏った新たな傘づくりに挑む若き四代目。雨の日だけでなく、日々の暮らしに寄り添う"使い捨てではない、愛でる傘"とは何か。人生の記憶を織りなす藤田屋の哲学と、職人が守り抜く「モノを大切にする」という美意識を深掘りします。
藤田 大悟さん
一時は地元を離れ、大手メーカーで勤務。2024年に帰郷し、藤田屋を継ぐ。全国各地の後継予定者が新規事業アイデアを競うピッチイベントへ出場するなど、傘本来の価値を届けるべく挑戦を続けている。
(※記事内容は取材当時の情報です)
#1 徳川家康が集めた職人の血脈
創業106年、継承と再生。駿府城下町に根付いた、傘づくりの系譜
――大正8年創業の藤田屋さんですが、まず静岡と傘の歴史的な関係性から、お聞かせいただけますでしょうか。
静岡市はよく知られている通り、徳川家康が晩年住んだ駿府城があり、その城下町としてさまざまな工芸品や職人が集められたという歴史があります。そもそも工芸職人が根付く土壌がありました。
弊社の創業は大正8年ですが、そのとき県外にルーツがあった傘職人たちが、そういった静岡市の傘の土壌を知り、静岡市で創業したのが始まりです。

――当時から、一つの傘を作るために多くの職人さんが関わっていたと伺いました。
はい。傘づくりにおいて、その全ての部品を一から作っているというメーカーは、今も海外にもありません。弊社も同様に、部材が織物だったり、木を使った加工品だったりと素材も違えば加工方法も違うため、多様な職人が関わっていました。
例えば、生地職人が織物を作り、それを染める人がいる。手元(持ち手)については、部品屋さんが木を削って形にします。
骨や中棒も、手元とは違う技術が必要で、木材を削るところから組み付けまでを一貫して行う職人がいます。
当時は和傘の時代ですから、部品の数がもっと多くなり、おそらく10から15社ぐらいの部材を作る職人たちがいて、それを私たちが仕立て上げていくといった流れでした。
#2 和傘から洋傘への転換
風に弱く重い和傘から、軽やかで利便性の高い洋傘文化へ
――布地の傘が出てきたのは、洋傘文化が入ってきてからなのでしょうか?
そうですね。和傘は和紙がベースでしたが、布がベースの洋傘は1800年ぐらいに急激に普及しました。

和傘は、和紙であったり、骨の数が多くて重い、風に弱いという特性があったんです。
私たちも和傘をずっと作っていたのですが、洋傘の利便性を知り、洋傘づくりに移行しました。
――そもそも傘は、日傘の方が古いというお話を聞いて驚きました。
はい、傘は4000年ぐらい前にできましたが、ずっと日傘として使われてきました。雨傘として使われ始めたのは200年ぐらい前のことです。
厳密に言うと傘はもともと、神具としてや王族が差して王の威光を示すものとして使われていました。
あまり実用的に使うものではなく、装飾品や王冠みたいなイメージですね。それが傘の起こりです。
#3 静岡の粋を纏う「自分らしい一本」
遠州綿紬と蒔絵が織りなす、着物生地から生まれる新たな日傘の価値
――こちらの傘は、静岡の「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」という生地を使われているそうですね。この生地の魅力についてお聞かせください。
綿紬は、静岡の西部地方で作られていた織物で、もともと傘生地ではなく着物や雑貨に使われていた生地なんです。

まず特徴の一つがこの縞模様ですね。そしてもう一つの特徴が、機能的に非常に優れている点です。
織物は縦糸と横糸を組み合わせて作りますが、この遠州綿紬はその打ち込み数、つまり糸の数が非常に密なので、そのまま使うだけで日傘としてのUVカット率、遮光率が非常に高いという特徴があります。

――天然素材なのに、UVカット率が95%以上というのは驚きです。
そうですね。色などによっても変わってきますが、大体95%ぐらい出るので、天然素材なのに十分機能が保てています。
また、この持ち手も、静岡の伝統工芸にこだわって作ったものです。

――普通の傘とは全く違う、とても素敵な持ち手ですね。
これは全て私たちが一からデザインしたものです。
静岡の挽き物でベースを作り、その上に職人に漆器で蒔絵をしてもらいました。この手元だけで、二つの静岡の伝統工芸を表現することができています。
昔、一度傘づくりをやめてしまったのですが、もう一度静岡で傘づくりをしていこうと決めたとき、単に自分たちで傘を作りましたではなく「傘を通じて静岡のさまざまな伝統工芸を発信していこう」とコンセプトを決めたんです。

#4 700円の傘を2,000円かけて直す
修理とリメイクに込める「モノを大切にする」思想。受け継がれた大切な傘を「来た時よりも綺麗に返す」という職人の心意気
――着物や浴衣の生地を使った傘のリメイクもされているそうですね。
はい。例えば、曾祖母の着物を大事にしているけれどもう着ないという方が、日頃から使いやすい傘にリメイクされるケースが多いです。傘に仕立て直してお返しすると、すごく喜ばれます。
以前、とあるおばあ様が、お孫さんが使っていた傘が傷んでしまったので、その素敵な手元を生かして、新しい若者向きの生地に張り替えて欲しいと持ち込まれたことがありました。
サイズ調整なども大変だったのですが、1年ぐらいかけて型紙を作り直し、張り替えをしたら、それを今度お孫さんにプレゼントで返すということで。いい話だなと思いました。
――そういった修理やリメイクに込められた、根本にある哲学とはどういったものでしょうか?
そうですね。やっぱり今はビニール傘が主流で、使い捨てでいいやって、その辺にポイッと捨てられている光景をよく見ます。
しかし、これからは一つを大事に使っていった方がいいのではないでしょうか。廃棄の減少にも繋がりますし、歴史も長い「モノを長く使っていく文化」を伝えていければいいなと思っています。
――修理の師匠である叔父様からは、どのような教えを受けましたか?
とにかくその物を大事に使っていただけるように、「来た時よりも綺麗に返すような気持ちで、お客様からお礼を言っていただくような形にしなさい」という風に教えていただいていましたね。
印象に残っているエピソードとして、15年間、山に登るときに700円ぐらいの折りたたみ傘を一緒にお持ちになっていたご婦人がいました。
骨の交換よりも買い換えた方が安いとお伝えしたのですが、その方はその傘を「この子」と呼んでまして。「この子がいなくなってしまうと悪いことが起きてしまう気がするから直してほしい」とご依頼があったんです。
2,000円かけて直させていただいたのですが、お引き取りいただくときにとても喜んでいただけて。そのときのことは今でも強く、自分の中で印象に残っています。

#5 106年目の傘の価値観アップデート
傘を「ワクワクするもの」へ。未来を担う四代目が描く、年間1億本市場への問いかけ
―― 創業106年という歴史を背負って家業に戻られた藤田屋さんですが、今後、数十年先を見据えてやっていきたいこと、新たな事業の展望についてお聞かせください。
やはり傘ってどういうイメージがあるかというと、正直あまり皆様の中で興味がない分野なのかなって自分自身思ってしまっています。
年間1億本以上買われているのに、傘のブランドを知ってますか?と聞くと、私の周りでは知っている人は誰もいませんでした。
そこで、皆様にとって傘をワクワクするものにするために、ファッション性が高い傘や、自分らしさを表現できる傘、それぞれの生活や暮らしに馴染む自分にぴったりな傘など、傘の価値観を1つずつアップデートし、私たちがやってきた創業からの思いを繋いでいきたいと思っています。

―― 具体的には、どのような事業を構想されているのでしょうか。
主に二つの大きな事業としてやっていきたいなと思っています。まず一つは、本日取り上げていただいた静岡の伝統の商品というところを広く発信していくこと。
『メイドイン静岡』というような伝統工芸を、弊社の傘づくりを通じて日本中、そして世界に対して発信していきたいと思っています。その過程で、もう一回創業時にあった工房を作り、静岡の産業の一員になっていけたらいいな、というのが一つ目です。
―― そして、もう一つの事業とは?
もう一つは、日常の暮らしに寄り添う新たなブランド展開です。伝統工芸品としての傘はどうしても扱いが難しい側面があります。そこで、傘の価値観を現代の感性に合わせてアップデートし、生活の中で気軽に使える存在を目指していきたいと考えています。
