芸術品じゃない、使ってなんぼ。曲げわっぱ職人の哲学──りょうび庵〈後編〉

100年の年輪を刻んだ木を沸騰した湯で煮て、素手で曲げ、桜の皮で縫い上げる。秋田・大館に残る、国の伝統的工芸品「曲げわっぱ」。

60歳で工房を立ち上げ、今も新しい曲げわっぱを作り続ける代表・石倉さん。「まげわっぱは芸術品じゃない、使ってなんぼ」と語る、女性初の伝統工芸士・伊藤さん。二人が積み上げてきた仕事の中に、曲げわっぱが長く愛される理由がありました。

石倉良彦さん

秋田県出身。大館市内の曲げわっぱ工場に30年間勤務し、定年後、60歳で「りょうび庵」を立ち上げる。創業当初から「古くて新しい曲げわっぱ」をコンセプトに掲げ、フランスパンを入れるバケットコンテナーや曲げわっぱのカップなどの新商品を開発。各種メディアにも取り上げられる。

(※記事内容は取材当時の情報です)

#4 弁当箱である必要は、ない。

60歳で工房を立ち上げ、今も商品開発をやめない理由

──石倉さんご自身のことをお聞かせください。
この業界に入って40年近くになります。初めはこういう世界に入るとは全く思ってなくて、転勤族だったんです。

結婚して2人目ができて、もう転勤は無理だということで地元の職場を探して、曲げわっぱの業界に入ったのがきっかけですね。現場の方も見ながら、ずっと販売畑でした。

東京の方はよく歩きましたね。問屋さん、専門店、百貨店経由の販売で、それなりに実績を作らないと大変でした。

りょうび庵は立ちあげて7年になりますけど、68歳になりまして、もうそろそろという気持ちもあるんですけど、職人が6名おりますから、もう少し頑張ろうかなと。

──独立されてからの道のりは、順調でしたか。
スタート時は順調だったんですけど、コロナが発生しまして、もうがっくり来ました。それまではある程度展示会にも出て、得意先も増やしていたんですけど、廃業するところもありましたし、縮小もあった。コロナは、今思えば全く予期せぬ時代でしたね。

──今後、工房としてどのような方向性を目指されてますか。
うちの方は、企画物をやりながら特注オーダー品を心がけたいと思ってるんです。大ロットの注文は全く望んでいません。小ロットでもやりたいと。

気軽にご相談していただければ対応はできると思います。弁当以外のものをもう少し幅広くやっていきたいということで、商品開発は続けてます。

──バケットコンテナなど、かなりユニークな商品もありますね。
あれは国の伝統工芸青山スクエアのフォーラム事業でプレゼンをして生まれた商品です。

「パンのための曲げわっぱ」ということで。売れても売れなくても、こういう大きな曲げわっぱもあるんですよということで話題性がありまして、テレビや雑誌、ふるさと納税なんかでも紹介されました。

やっぱりこういう変わったものを発表しないと話題性がないと。曲げわっぱイコールお弁当は分かるんですけど、あまり面白くないでしょう。

──材料を有効に活用するための新しい取り組みもあるとか。
例えば、ちぎり弁当箱では、曲げわっぱじゃなくて「差物(さしもの)」と言って、4面を接着して加工する方法を採用しています。

曲げわっぱの材料って、曲げるときにものすごく材料を食うんですよ。

その切ったところを再利用していくんです。手間暇はこちらの方がかかるんですけど、材料の有効活用からすると、こういう商品構成もしていかないと難しい。

本来ならストーブで焼却処分する材料も、無駄にしないよう活用しています。

#5 曲げわっぱは、芸術品じゃない

女性初の伝統工芸士、伊藤さんが30年かけて育てたもの

──伊藤さんがこの世界に入られたきっかけを教えてください。

伊藤さん:
東京の専門学校に入って、こっちに帰ってこようと思ったんですけど、なかなか仕事を見つけられなくて。遊んでるわけにもいかないから、アルバイト的な感じでちょっとやってみようかなと。楽そうだなって思ったんですよ、この仕事。

──最初は軽い気持ちだったんですね。

伊藤さん:
そうです。まさか30年以上もいるとは思いませんでした。たまたま大館に曲げわっぱがあったからというだけであって。

でもよくよく考えると、小さい頃に工作が好きだったとか、父親が大工で木の廃材に囲まれて育ったとか、後からそういうことを思い出して。ああ、最初からこういうものづくりが好きだったかもしれないなと。

──伝統工芸士を目指されたのは、どんなきっかけだったのですか。

伊藤さん:
最初に入った会社の工場長が、自分で一品物とかを作ってるのを見て「いいな」と思ったんです。

一生懸命ついていって、「これどうやるんですか」と勉強してるうちに、その工場長が「なれるよ。男も女も関係ないんだよ」と言ってくれた。 

どうせこの世界にいるなら、伝統工芸士を取っておいてもいいかなと思っただけなんですけどね。

──当時は、周りに女性の職人はいらっしゃったんですか。

伊藤さん:
全然いなかったです。20歳の頃、周りを見渡すと男性ばっかりで。「なんでこんなとこに来たんだよ」って言われましたね。でもおじさんたちには可愛がられて。男には負けたくなかったですし。

──伊藤さんにとって、曲げわっぱとはどういうものですか。

伊藤さん:
曲げわっぱは芸術品じゃないんです。生活用品なんですよ。使ってなんぼ。飾って眺めるっていうのは、私はあんまり好きじゃないですね。

秋田の人はね、高いからといって飾ってる人もいるんです。だからとにかく使ってほしい。じゃんじゃん使って。使えば良さはすぐ分かりますから。

── 最も難しい工程は、やはり曲げですか。

伊藤さん:
やっぱり曲げなんですよ。いかに綺麗に曲げるかは、数をこなしてやらないといけないし、男性と違って力がないので。

でも曲げるだけなら誰でもできるんです。綺麗に曲げるのが難しい。

「はぎ取り」という、重ねたところを薄くする作業が一番大事で、それが厚すぎたり薄すぎたりするとまん丸にならない。

木も硬かったり柔らかかったり、目が曲がってたりするとうまくいかないですから。

──伊藤さんは小学校でもまげわっぱの授業をされているそうですね。

伊藤さん:
毎年、地元の小学校に行ってるんです。まず「大館にはこんないいものがあるんだよ」って全部説明して、体験で弁当箱を作ってもらって、給食で使ってもらう。

たまにすごく器用な子がいると、「ああ、向いてるな、勧誘したいな」って思うんですよ。

自分に置き換えたとき、頭は悪かったけど好きだったな、器用だったかもしれないって思うから、やっぱり勉強だけじゃないなってことを必ず言うようにしてるんです。

わっぱだけじゃなく、いろんなものづくりの世界があるんだよって。最後に「勉強もしてね」って、先生の目を気にしながら言うんですけど。

でもね、それで「あ、私も行けるかもしれない」って思う子供が一人でもいたらいいなと思ってます。

──後継者を育てるということについて、どうお考えですか。

伊藤さん:
まず伝統工芸士の資格を持ってるだけじゃダメで、曲げわっぱがおかげ様で今人気なんですけど、ずっと続いていくように後継者を育てたり、時代に合ったわっぱを作っていかないとお客さんは飽きてしまう。

うちの工房は機械がないぶん、みんな最初から最後まで一人でやらなきゃならない。

他の工房さんだと分業だから、試験のときだけやろうとしてもなかなか難しいんですけど、ここではなんでもやる気になればやれる。それが最高の場所だと思ってます。

石倉さん:
今、大館では国の伝統的工芸品に指定されていて、伝統工芸士も10数名おります。

12年この業界で仕事をした人には国家試験を受ける資格がありまして、学科、実技、面接がある。伝統工芸士を取ることによって給料も違ってくるし、箔もつく。だからそこまで頑張れと言ってます。

うちの26歳の男の子も入って4年目ですけど、若い分覚えが早い。

女性も半分くらいになってるんじゃないですかね。女性の方が手が器用ですから、私は男性よりも女性の方が伝統工芸士に向いてると思いますよ。

伊藤さん:
環境って大事なんです。自分が「こういうのをやっていきたい」と思っても、やれない環境だと、挫折してやめちゃう人が多い。

そういうのを何回も見てきました。上司の理解とか社長の理解がないと、面白いなって入ってきた子が潰れていってしまう。

うちはいくらでも企画の案を出せば社長が「やってもいいよ」と言ってくれる。それだけでも幸せだなと思ってます。