群馬最後の桐タンス職人、伝統を現代に変化させるモノづくり──桐匠根津・根津安臣<後編>

「もう削れない」と言われた100年物の桐タンスを、焼くことで再生する。柔らかい木目だけが燃えて沈み、硬い部分が浮き出る伝統技法で、150年前の思い出の家具に命を吹き込む。希少な会津桐でスノーボードを作り、年配の桐屋から「なんてことに使うんだ」と叩かれたが、挑戦を止めなかった。四代続く職人に、レンズ20本分の特注桐箱から国産桐ボードまで、伝統を未来へ繋ぐものづくりを語っていただいた。

根津安臣さん

大正6年創業、群馬県みなかみ町にある桐製品専門店"桐匠根津"4代目。桐専門の山師から始まり、時代と共に桐下駄、桐箪笥、建築用材、生活雑貨と創業から多くの桐製品の製作を手掛ける。

(※記事内容は取材当時の情報です)

#3 桐タンス“再生”職人の技

「削る」から「焼く」へ。100年モノの桐タンスに命を吹き込む

―― この凹凸のある独特の質感は、どうやって生まれるのですか?

これは表面を焼いているからです。

木には夏に育つ柔らかい木目と、冬に育つ硬い木目があるのですが、焼くことで柔らかい部分だけが燃えて沈み、硬い部分だけが浮き出て残るんです。こうして凹凸が生まれます。


―― なぜ、あえて焼くのでしょうか。

一つは、硬くなるからです。「焼き締める」と言いますが、表面の柔らかいところがなくなり、硬い部分だけが残ることで、傷に強くなります。

木の木目って 夏目と冬目の2種類があって、夏に育つ木目と冬に育つ木目があって硬さが違うんですね。で、焼くとその柔らかい木目だけ焼けて沈むんですよ。

そして、硬いとこだけ焼かれても浮いて残るんですよね。これ触ってもらうと分かると思うんです。

―― 先人の知恵だなと感じました。

もう一つ、修理の方法としても重要です。普通の修理は鉋(かんな)で表面を削って綺麗にするのですが、何度も削ると薄くなって、これ以上は無理だというタンスが出てきます。

物によってなんですけど、普通2回は削れるっていう風に言われます。 厚い板を使ってるタンスなら3回削れるんですけど、もう3回削ってもう4回は無理みたいな。

もうこれ以上は削り替えでは直せないっていうタンスとか、江戸後期とか明治初期ぐらいの古いタンスでも、うちのこの焼く方法でなら直せるんです。

だから、他の職人さんが「もう削れない」と判断したタンスを、「群馬の根津さんなら直せるよ」と紹介してくださることもあります。

―― 修理を依頼されるタンスの中には、かなり古いものもあるのですか?

明治初期、150年くらい前のものもありますね。お客さんから「このタンスは直す価値がありますか?」とよく聞かれるんですが、価値があるかどうかは僕らが決めることではありません。

どんなに古くても、その人にとってのおばあちゃんから受け継いだ思い出のタンスだったりする。そういう想いがあれば、僕らは綺麗に直します。持ち込んでもらえれば、今のところ直せないタンスはありません。

#4 桐職人の覚悟と新たな挑戦

「なんてことに使うんだ」伝統の壁を越える、スノーボードへの挑戦

―― スノーボードにも国産桐を使っていると聞きました、非常に新しい取り組みですね。

スノーボードはもともと芯材に桐を使っているんです。そこに、国産の桐で作りたいというメーカーさんとご縁があって、協業が始まりました。

最初に、1万本に1本しか採れない「玉杢(たまもく)」という希少な木目を持つ会津桐で、全面を覆った特別なボードを作ったんです。

―― それはすごいですね。周囲の反応はいかがでしたか?

年配の桐屋さんから「なんてことに使うんだ」とめちゃくちゃ叩かれましたね。「こんなことに国産桐を使いやがって」と。

でも僕は、「そんなこと言ってるから、この業界は廃れるんだよ」と思いました。もっと新しいことに桐を使わないと。軽くてしなやかで、柔軟性もある。桐が役に立つ場所は、まだまだたくさんあるはずなんです。

―― 固定観念を壊していく、と。

そうです。うちの師匠は「行け行け、もっと作れ」という方で。「この希少な材は、スノーボードになる運命だったんだからいいんだよ」と。

閉じこもっていないで、外に出て、いろんな人と話して、新しいものに挑戦していかないともう無理。桐の業界に限らず、いろんな業界の人とコラボレーションして、「伝統工芸はもっとクリエイティブで面白いんだぞ」というのを示していく必要があると思っています。

#5 「100年後に残る家具」をつくるということ

諦めていた「欲しい」を形に。四代続くものづくりの魂

―― この仕事に就く決め手となった出来事があったそうですね。

昔、祖父が直したタンスの話なんですけど、亡くなった旦那さんとの思い出のタンスを直したいというお客さんが来たんですよ。正直、とてもいいタンスとは言えないものだったんですよ。

ひどいタンスだなと思ってたんですけど、やっぱりその客さんにとっては大事なもので。そのおじいちゃんとかおばあちゃんとかその家族が大事に使ってたタンスで、でも引き出し開ければそこ抜けてるし、裏板が隙間開いてるし、虫もすぐ入ってくるし、ひどいタンスでした。

でも大事に使いたいって言うんで、うちに依頼が来て、じいちゃんと一緒に直し持っていった時に、こんな綺麗になってって、目の前で膝ついて、泣き崩れて。 「よかったね。よかったねおじいちゃん綺麗になったよ」って言ってそのぐらい喜んでくれたんですよね 。

この時に、なんつう仕事だと思って、こんな人に影響を与えるというか、ダメだと諦めていたものをまた使えるようにする仕事っていうのはものすごくやりがいがあるなと思って。

それが一番の動機だったかもしれません。

―― その原体験は、今のものづくりにも影響していますか?

「ここに、こういうものが欲しい」という、まだ形になっていない願いを、ゼロから作り上げるのがうちの仕事です。例えば、カメラが趣味の方から、20本あるレンズがそれぞれぴったり入る桐箱を作ってほしいと頼まれたこともあります。

20個すべて寸法が違う。すごく面倒ですけど、そういう注文に対応してくれる桐箱屋さんが他にないから、うちに来てくれる。僕らは、一つからでも作ります。

―― 最後に、これからの展望についてお聞かせください。

原点に立ち返って、やはり「大事なものを大切に保管するための箱」に力を入れていきたいです。

その為に1回使い道を見直して今の現代にあった桐箱の使い方っていうのをしっかり提案していきたいなっていうのがあります。

革靴であるとかスーツであるとか昔は着物とか掛け軸とかでしたけど、ちゃんとその桐の良さを伝えて、こういうものなんだよって伝えれば伝える程、どの業界にも通じるものはあると思っています。

この業界にこういうものを作るぜっていうのは、まだはっきりとは見えてないところはあるんですけど、箱っていう原点に立ち帰りたいなっていうのは思っています。

そして、何より自分たちで種から育てた木で、いつか家具を作りたい。僕らが死ぬまでに一度切れるかどうか、という長いスパンですが、そうやって未来に繋いでいきたいですね。