100年後の家具を蒔く | 国産桐「2%の危機」を苗から救う。桐タンス、新境地への挑戦──桐匠・根津安臣

国産桐の流通はわずか2%。その危機を前に、桐匠・根津安臣さんは耕作放棄地に年400本の苗を植え、15年以上をかけ自らの手で材を育てる。軽さと調湿性を活かす伝統技で100年物の桐タンスを焼き直し、スノーボードのコア材へも挑戦。その“種を蒔き、未来を削る”仕事が、私たちの生活とどう交わるのか──。防虫・耐火に優れ、米やカメラを守る桐箱の新構想まで、息の長いものづくり哲学を語っていただいた。

根津安臣さん

大正6年創業、群馬県みなかみ町にある桐製品専門店"桐匠根津"4代目。桐専門の山師から始まり、時代と共に桐下駄、桐箪笥、建築用材、生活雑貨と創業から多くの桐製品の製作を手掛ける。

(※記事内容は取材当時の情報です)

#1 種から育てる桐材

30年先への投資。国産材を守るための400本

―― 苗づくりを最初からご自身で?
はい。うちは種を播いて芽を出す“実生”で桐を育てています。種からやる桐屋は、福島県会津の師匠と私たちの2軒だけなんですよ。

挿し木は根付きにくいし、接ぎ木や根分けだと親木の病気が遺伝します。種から発芽させれば病気のない“ピュアな桐”が得られるんです。

―― 発芽までの工程を教えてください。
種を水に浸けてから小さなビニールテントの中で管理します。温度や湿度を保つための設備はありますが、失敗も多いですよ。

桐は根本から切る“大切り”にしています。根元から切ると桐は「命の危機だ」と感じて、横から勢いよく芽を吹く。1本伸ばすより成長が早く、材が締まります。

―― 伐採できるまでの期間はどのくらいですか?
まず15〜20年かけて太い木に育てます。伐った後は自然乾燥と灰汁抜きで7年。板にしてもすぐには使えない。だから全部で25〜30年先の投資です。

国産桐は流通が2%しかなく、このままだと十年後に0.5%とも言われます。未来の材を確保するには、今自分たちで森を育てるしかありません

―― 年間で、どれくらいの苗を植えているのですか?
年間で400本くらいですね。今、みなかみ町もそうですが、どの地域でも耕作放棄地がすごいじゃないですか。みなかみ町には、東京ディズニーランド35個分くらいの耕作放棄地があって、管理しきれず荒れてしまった場所をうちが全部借り上げて、そこに植えまくっているんです。

本来、樹木は畑に直接植えてはいけないのですが、桐だけは唯一、畑に植えてもいい「特用林産物」という扱いで、キノコなどと同じなんです。だから、農地転用の手続きなしに、借りたらすぐに植えることができるんです。

―― そもそも、桐の作り手が減ってしまったのはなぜなのでしょうか。
やはり、苗木から育てて作付けしても、なかなか儲かる仕事ではないので、後継者がどんどんいなくなっていきました。

みなかみ町としても、この耕作放棄地の問題を解決したいという想いがあって、役場の農林課の方が全国を探して、福島の師匠を見つけてコンタクトを取ってくれたんです。この取り組みが、地域の課題解決にも繋がるということで、役場も協力してくれました。

#2 暮らしに根付く桐箱の知恵

呼吸し、燃えず、腐らない。科学が解き明かした神秘の木材

―― 桐でタンスを作るのは、なぜなのでしょうか?
理由はいくつかあります。まず、日本で一番軽い木材だということ。そして、木材の中でナンバーワンの調湿作用があります。一年を通して、木が勝手に呼吸して湿度を40%から50%の安定した状態に保ってくれるので、中のものを湿気から守り、品質を長く保てるんです。

―― 防虫効果についてもよく聞きます。
桐は木材の中で唯一、アルカリ性の木なんです。他の木はすべて酸性。虫や菌はアルカリ性のものを食べたり、繁殖したりすることができません。だから、そもそも虫やカビが寄り付くことができないんです。昔の人がどうやってその性質を見抜いたのかは分かりませんが、今では科学的に桐の良さが解明されていて、保管・保存には桐が一番だと言われています。

―― 火にも強いと聞きました。
表面を焼くと炭化層ができて、それが酸素の供給を遮断してくれるので、中まで火が通らないんです。片側から火を当てても、表面は真っ黒に焦げますが、中身は燃えない。実際に火事で蔵が全焼したのに、桐タンスだけが残って中身は無事だった、という話はよくあります。昔の金庫の内側に必ず桐が張ってあったのも、そのためです。

#3 桐タンス“再生”職人の技

「削る」から「焼く」へ。100年モノの桐タンスに命を吹き込む

―― この凹凸のある独特の質感は、どうやって生まれるのですか?
これは表面を焼いているからです。木には夏に育つ柔らかい木目と、冬に育つ硬い木目があるのですが、焼くことで柔らかい部分だけが燃えて沈み、硬い部分だけが浮き出て残るんです。こうして凹凸が生まれます。


―― なぜ、あえて焼くのでしょうか。
一つは、硬くなるからです。「焼き締める」と言いますが、表面の柔らかいところがなくなり、硬い部分だけが残ることで、傷に強くなります。

もう一つ、修理の方法としても重要です。普通の修理は鉋(かんな)で表面を削って綺麗にするのですが、何度も削ると薄くなって、これ以上は無理だというタンスが出てきます。そういうものでも、うちはこの焼く方法で直せるんです。だから、他の職人さんが「もう削れない」と判断したタンスを、「群馬の根津さんなら直せるよ」と紹介してくださることもあります。

―― 修理を依頼されるタンスの中には、かなり古いものもあるのですか?
明治初期、150年くらい前のものもありますね。お客さんから「このタンスは直す価値がありますか?」とよく聞かれるんですが、価値があるかどうかは僕らが決めることではありません。

どんなに古くても、その人にとってのおばあちゃんから受け継いだ思い出のタンスだったりする。そういう想いがあれば、僕らは綺麗に直します。持ち込んでもらえれば、今のところ直せないタンスはありません。

#4 桐職人の覚悟と新たな挑戦

「なんてことに使うんだ」伝統の壁を越える、スノーボードへの挑戦

―― スノーボードにも国産桐を使っていると聞きました、非常に新しい取り組みですね。
スノーボードはもともと芯材に桐を使っているんです。そこに、国産の桐で作りたいというメーカーさんとご縁があって、協業が始まりました。最初に、1万本に1本しか採れない「玉杢(たまもく)」という希少な木目を持つ会津桐で、全面を覆った特別なボードを作ったんです。

―― それはすごいですね。周囲の反応はいかがでしたか?
年配の桐屋さんから「なんてことに使うんだ」とめちゃくちゃ叩かれましたね。「こんなことに国産桐を使いやがって」と。でも僕は、「そんなこと言ってるから、この業界は廃れるんだよ」と思いました。もっと新しいことに桐を使わないと。軽くてしなやかで、柔軟性もある。桐が役に立つ場所は、まだまだたくさんあるはずなんです。

―― 固定観念を壊していく、と。
そうです。うちの師匠は「行け行け、もっと作れ」という方で。「この希少な材は、スノーボードになる運命だったんだからいいんだよ」と。閉じこもっていないで、外に出て、いろんな人と話して、新しいものに挑戦していかないともう無理。桐の業界に限らず、いろんな業界の人とコラボレーションして、「伝統工芸はもっとクリエイティブで面白いんだぞ」というのを示していく必要があると思っています。

#5 「100年後に残る家具」をつくるということ

諦めていた「欲しい」を形に。三代続くものづくりの魂

―― この仕事に就く決め手となった出来事があったそうですね。
昔、祖父が直したタンスを納品しに行った時のことです。正直、決して良いタンスとは言えなかったのですが、お客さんにとっては家族が大切に使ってきた、かけがえのないものでした。修理を終えてお持ちしたら、その方は目の前で膝から崩れ落ちて、「よかったね、おじいちゃん。綺麗になったよ」と涙を流して喜んでくれたんです。

その時、「なんて仕事なんだ」と衝撃を受けました。諦めていたものを、また使えるようにする仕事は、ものすごくやりがいがあるなと。それが一番の動機だったかもしれません。

―― その原体験は、今のものづくりにも影響していますか?
「ここに、こういうものが欲しい」という、まだ形になっていない願いを、ゼロから作り上げるのがうちの仕事です。例えば、カメラが趣味の方から、20本あるレンズがそれぞれぴったり入る桐箱を作ってほしいと頼まれたこともあります。

20個すべて寸法が違う。すごく面倒ですけど、そういう注文に対応してくれる桐箱屋さんが他にないから、うちに来てくれる。僕らは、一つからでも作ります。

―― 最後に、これからの展望についてお聞かせください。
原点に立ち返って、やはり「大事なものを大切に保管するための箱」に力を入れていきたいです。昔は着物や掛け軸でしたが、今は革靴やスーツ、カメラのレンズかもしれない。桐の良さをちゃんと伝えれば、どの業界にも通じるものはあるはずです。

そして、何より自分たちで種から育てた木で、いつか家具を作りたい。僕らが死ぬまでに一度切れるかどうか、という長いスパンですが、そうやって未来に繋いでいきたいですね。

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