道具から自分で作る。魚と対話する竿に込めた哲学と執念──竿政・田村政孝<後編>

ノコギリもヤスリも銀細工も、55本の刃物まで、すべて自分の手で作る。道具から生み出す職人技が、仙台竿の精度を支えてきた。魚と戦わず、まるで対話するように釣る。その哲学を体現する竿は注文から1年かけて完成する。「教えられる仕事じゃない」と語る仙台竿最後の継承者が、93歳の今も竿を作り続ける理由とは。

田村政孝さん

1932年(昭和7年)生まれ。宮城県出身。伊達政宗も愛した仙台竿唯一の継承者。幼少期から父の背中を見て、独学で竿を製作。小学生時代には釣り愛好家から「天才」と呼ばれ、現在は竿政竹竿製造店を営む。竹選びから仕上げまで約200工程に及ぶ作業を一人でこなす職人で全国から多くの愛好家が田村さんの工房「竿政」を訪ねる。

(※記事内容は取材当時の情報です)

#4 ノコギリも、ヤスリも、銀細工も。すべて自分で作る理由

道具から生み出す職人。妥協なき源流

──このノコギリは、田村さんが作られたものですか?

これは4、5日前かな、切れなくなったから磨いたわけ。こういう道具も、自分で焼いて作ってる。

──焼いて叩いて作るんですか?

うん、そうそう。昔ね、刃物を作ろうと思って「かさ松」っていう鍛冶屋の親父に、「道具貸してください」って言ったことがあるの。

そしたら「刃物なんて作れるわけない」って、「うまく作れたら逆立ちしてやる」って言われたの。

それで、鍛冶屋の床って金くずが落ちてるでしょう? それで逆立ちができるように、床をほうきできれいに掃いていたわけ。

そしたら鍛冶屋の親父が「何してるんだ?」って聞くから、私は「逆立ちの用意ですよ」って答えた。そしたら「ふざけるなこの野郎」って怒られたね。

結局ね、本当に刃物を作ることができて、55本も作った。今でもずっと使い続けている。

これは「ためぎ」っていってな。曲がった竹を、どこを直したか分からないくらい自然に矯正する道具なの。

仙台竿を作る道具では、これが一番大事なんです。

竹を火で炙って柔らかくして、このためぎで押さえて、曲がりを取る。この道具は15、6歳の頃から使ってる。

──沢山ありますね。これらはどういう違いがあるんですか。

微妙に角度が違うのね。竹の曲がり具合によって使い分けるわけ。

これなんかね、小学校2年生の時から使ってるやつもあるのよ。ほら、この角度。最高なんです。

──銀細工もご自身で?

みんなね、自分で作るわけ。銀細工も自分でやる。

自分自身が釣り師だから、使い勝手が分かるんです。いかにコンパクトで機能的にするか、ということを常に考えて作ってる。

──この万年筆も?

これね、竹を何枚も重ねる竿の作り方を応用して、万年筆を作ってるわけ。プラチナ製から純金まで、全部手作りです。

──すべて自分で作るのは、なぜですか?

やっぱりね、親父の友達が名人揃いだったから、その人たちから学べたというのが大きい。

私は、母親が早く亡くなったから、いつも親父の周りにいたの。そこで仕事を少しずつ覚えて「こうやればこうなる」というのを自分で学んできたわけ。

これをね、二人でやろうとすると、こういういい仕事は絶対できない。自分で研究しないといいものは作れないからね。だって見えないところを勘でやるんだから。

#5 魚と戦わない仙台竿の哲学

魚を安心させ、泳がせ、語り合う「調子(しなり)」

──田村さんは、ご自身も名釣り師だと伺いました。

はい。とにかく釣り人に喜んでもらいたいからね。

「ありがとうございます」って竿を渡して、売りっぱなしじゃ、お客さんが本当に満足したかどうか分からないわけ。

やっぱりね、剣道や柔道でも、強い人の弟子にならないと強くならないでしょう。釣りも同じなんです。

──竿を買った方には、必ず一緒に釣りに行かれるのですか?

そう。竿を売ったらね、買ってもらったお客さんと必ず一緒に釣りに行くわけ。

そこで釣り方も教える。細くて切れやすい糸でも、大物を釣り上げられる技術をね。丈夫な糸でガリガリ引っ張るのは、アメリカ式のやり方だから。

──「魚と戦わない」釣り方ですね。

そうです。魚を安心させて、止まったところを引っ張るようにしないと、魚が暴れてしまうわけ。

簡単に言うとね、魚が10センチ泳いだら、こちらは力を1ミリだけ入れる。そうやってじわじわと魚を弱らせていく。

それで魚が弱ってきて泳がなくなったら、今度は「ほら、泳ぎなさいよ」って催促して泳がせるわけ。

そうやって岸まで寄せてくると、最後は魚がパタッとも動かなくなる。それで掴んで上げるんです。

──竿で、魚の種類も分かると聞きました。

餌をかじった感覚が、浮きがピクピクいう前に分かるという竿だからね。

普通の人はテレビで見ると、竿を上げるまで何が釣れてるか分からないでしょ。

でもこの竿はね、引きの感触だけで「これはハゼだな」「カレイだな」「上物(ボラ)だな」って、全部分かるわけ。

──ある意味、魚と対話しているような。

そうそう。魚と語り合いながら使う竿なんです。

こういう竿ね、どこにしまったか分からなくなってしまうね(笑)。どこの竿屋の竿でもいいから、こういう釣竿を作れる職人がいたら、本当に見てみたいね。

──田村さんの竿で、どれくらい大きな魚が釣れるのですか?

白石川でね、大きな鮎が釣れたことがあるんです。1尺(約30センチ)の丸い皿に3匹並べると、4匹目はもう並ばない。それくらい大きな鮎だった。

そういう大物を、どうやって大人しくさせて釣り上げるか。私は常に、本気になって釣ったことはないんです。

その釣り方を自分も研究して、お客さんにも教えるわけ。

#6 教えられる仕事じゃない

仙台竿、最後の継承者。文化を守ることの孤独と誇り

──仙台竿を作る最後の職人ですよね。そこに対して何か思うことはありますか?

いや、こんなに頭を使う商売は、人に教えられないもんね。教わる方も気の毒だと思うよ。

それはね、資産があって「銀行を背負ってる」って言えるような人だったらいいかもしれないけど、普通の人には私の真似は出来ないと思うね。

とにかく、仕事を始めたら終わるまでやり続けるんだから。1工程、2工程、3工程……とね。

 

─お客様は、注文されてどれくらい待つのですか?

だいたいね、1年ぐらい待ってもらうの。

でも1年待ってもらってる人が、7ヶ月ぐらい経つと「釣り竿ってこんなに難しいものなんですか」「まだできないんですか」っていろいろ言われることもあります。

それで最初から気持ちが折れて「そんなに時間がかかるなら要らない」って言う人もいるかもしれないけど、今まで一人もそんな人はいなかった。

こうやって時間をかけて作っていくとね、出来上がった竿を手放すのが惜しくなるような。今も見るたびにそう思う。

特に年取ってからはね、作るのが難しいですから釣り竿だけは。

── 忙しい時は、寝ないで仕事をしたこともあったとお聞きしました。

そうそうそう。最高で3日間寝ないで作業したこともあった。5分だけ寝たり、仕事の途中で少し眠ったりしてね。

仕事から離れると、いい仕事ができなくなるんだよね。

当時、女房の親父が「まあちゃん、体を壊すよ。僕が手伝うよ」って言ってくれたけど、人にやってもらった分は、また私が直さないといけない。結局同じことだよね(笑)。

──今後について教えてください。

今はね、やっぱり勘が鈍くなってきたから、複雑な竿は作らないね。

だからここにある竿を、時々ポツポツ売ってるわけ。竿の価値を分かってる人がいてね、一気に3本ぐらい買っていく人もいるからね。

──最後に、やはり楽しいですか、竿を作るのは?

とにかくね、楽しいですよ。