忍者が重宝し、利休が愛した「真田紐」。500年表に出なかった紐の話──真田紐師江南・和田 伊三男<前編>

日本に存在する紐は、 大きく分けて三種類。より紐、組紐、そして真田紐です。真田紐は、糸を圧縮する特殊な織り方を用いた、強くて丈夫な紐として古くより重宝されてきました。

その起源はネパールの山岳民族が使っていた運搬用の紐にまで遡ります。やがて忍者が命を守る防具として、千利休が茶室の暗号として。一本の紐が、織りなす歴史は訳あって、あまり表に出ていません。

真田紐師十五代・和田伊三男さんに、500年にわたり「表に出てはならない」とされてきた真田紐の話を伺いました。

和田 伊三男さん

1966年京都生まれ。高校時代から単身アメリカに留学し、ボストン美術館付属の美術大学に進学、卒業後に帰国して家業を継ぐ。京都で500年以上続く老舗真田紐師「江南」、十五代目当主を務める。

(※記事内容は取材当時の情報です)

#1 日本の紐には、三つの系譜がある

より紐、組紐、真田紐。それぞれの違いと起源

──日本における「紐」の歴史について、全体像を教えてください。

日本によくある紐は三種類です。より紐、組紐、真田紐。

元々日本にあったのがより紐(綱)というもので、わらの束や麻の糸を同じ方向にねじって一本にしたものですね。

横綱の綱や神社の綱、古来から日本の暮らしのあちこちで使われてきました。

二つ目の組紐は中国で作られていたもので、北伝仏教と共に日本に伝わりました。ただ御所に伝わったものですから、一般の人が触れる機会はなかったんです。宮中の紐ということになります。

組紐は全部が縦糸で斜めになっていますから、引っ張ると伸びるし、一箇所切れると全体が崩壊してしまう弱点がある。

だから激しい運動をしないお公家さんたちの装飾品として使われていたんですね。

──そして三つ目の真田紐は、どこから来たものなのでしょうか。

真田紐の原型は、ネパールの山岳民族が織っている「サナール」という紐です。

リャマという毛の長い牛の毛で織られていて、エベレストの中腹で重たいものを運搬する時に使っていた。非常に丈夫で強い紐です。

これが南伝仏教の貿易路を通ってルソン──今のフィリピンに集約されていきました。

仏典やインド更紗(さらさ)*1がサナールで結んであって、堺の商人たちがそれごと輸入して日本に持ち帰る。中身は売り物ですから売られていくわけですが、紐は港に置かれていた。

ただ堺の商人はすごく目敏い(めざとい)んで、「これすごい強いな、何かに使えるよな」と。

けれどサナールはリャマの毛ですから、日本にはその材料がなかった。それがようやく作れるようになったのは、東大阪で国産木綿の栽培が成功してから。木綿でサナールの紐を作ったのが真田紐になります。

*1 インド発祥の鮮やかな多色染め木綿布

──真田紐の織り方には、どのような特徴がありますか。

縦糸の本数が通常の織物の三倍から四倍あります。横糸を入れてギュッと引っ張って横方向を圧縮し、さらに筬(おさ)*2でパンパンと打って縦方向も圧縮する。

たくさんの糸を一箇所にギュッと集めて織るという特殊な織り方です。

元々の一重織りをさらに丈夫にしようと、日本で開発されたのが袋織りと言い、二重構造になります。お城の石垣の石を引っ張り上げるような用途にも使われていたほど強い。

より紐だと硬くて丸いですから、柱を吊り上げた時に「線」で締めて傷がつく。真田紐は引っ張り強度が強いのに幅広くて「面」で締めますから、傷がいかない。それで重宝されたんですね。

*2 機織り機(手織り機など)に取り付けられる櫛(くし)状の道具



#2 忍者が売り、持ち歩いた紐

忍者の荷物の中には巻いた真田紐と道具しか入っていなかった

──和田さんのご先祖と真田紐にも深い関わりがあるんですよね。

和田惟政(これまさ)という方が甲賀の武士でして、油日(あぶらひ)*3というところにあった和田城の城主をしておりました。

この惟政がやった一番大きな仕事は、足利義昭(よしあき)を十五代将軍に擁立したことです。

兄の十三代義輝(よしてる)が三好家に暗殺されて、惟政が奈良でお坊さんをしていた義昭を救い出し、和田城でかくまった後、最終的に信長のところへ連れてきた。信長と一緒に京都に上がって将軍になったという歴史があります。

*3 滋賀県の地名

──その和田惟政が、真田紐とどう繋がるのでしょうか。

惟政は「伊賀の守(かみ)」というお役をもらっていて、伊賀の忍者の管理者みたいなことをやっていました。その時に忍者に真田紐を作らせたのが始まりです。

真田紐を売り歩く行商人の中に、伊賀の人たちが紛れ込む。珍しい紐ですから簡単にお城に上げていただける。

そこで殿さんの健康状態や地域の情勢を探る。情報とお金を持って帰り、足利家へ伝えるというのが惟政の仕事でした。

その行商ルートの中で、長野の真田家にも紐が伝わった。

そして戦国最強の策士で有名な武将、真田昌幸(まさゆき)が初めて甲冑(かっちゅう)の手首や足首に真田紐を使ったんです。この方がすごく活躍されたので「真田紐」という名前がついたとも言われています。

官位を持つ者のステータスとして組紐が多く使われていましたが、組紐だと戦うと伸びて切れてしまいます。しかし、丈夫な真田紐で手首を縛れば拳サポーターになるし、足に結べば出血を防げる。

──忍者にとっても真田紐は重要な道具だったそうですね。

忍者は商人の格好で売り歩いていますから、鎖帷子(くさびかたびら)*4や黒装束は持っていない。荷物の中には巻いた真田紐と道具しか入っていないわけです。

忍び込む時にこの紐を腕や足に巻いて、竹ベラを差していくと簡易的な甲冑(かっちゅう)ができる。頭に巻けば袋織りで作られている真田紐は強度が高いため、刀が貫通せずに止まる。

一切金属を使っていないからカチャカチャ音がしない。本当に無音で忍び込めるんです。

*4 小さな金属の輪を繋ぎ合わせて作った鎧形式の防具

──忍者の活動は、実際にはどのようなものだったのですか。

ドラマだと殺伐としていますが、実際は今のスパイと一緒で、誰かを失脚させたい時に裏で謀(たばか)る。

例えば、偉い方がお殿さんに差し上げる道具の中身をすり替えて、お殿さんが開けたら全然違うものが入っている。激怒して、その人が失脚する。そういうシチュエーションを作るのが忍者の仕事です。

印象的なエピソードがあるかってことですが、結局エピソードとして残っていたらダメなんですよ。いかに残らないように仕事をするかが基本ですから、残っているというのは忍者として下手なんです。

#3 紐がIDとなり、結びがパスワードになる

千利休がお茶の世界に持ち込んだ真田紐に込められた意味

──真田紐は茶道とも関わりが深いと聞きました。

利休さん以前の宮中のお茶では、塗り箱に組紐がかかった箱を使っていた。利休さんがお茶を下の人にも広げようとした時に、その室礼(しつらい)*5は一般の人には使えない。そこで考えられたのが「桐箱(きりばこ)」です。

組紐の箱だと房が蓋から垂れ下がっている。「有り余るほど」というお公家さん的な豪華さの誇示ですね。

利休さんの桐箱は蓋の面積中で全てが収まる。禅宗(ぜんしゅう)の「何事に対しても控える」という思想です。

*5 季節の移り変わりや人生の節目に合わせて、空間や道具を整える日本の伝統文化。ここでは組紐がかかった箱を含む

──その桐箱に使われたのが真田紐だったのでしょうか。

はい、茶道具の「約束真田紐」というものです。

元々、武士の刀の下緒(さげお)*6にはお家の柄があって、戦で亡くなった方の刀を集めて持ち帰った時に、紐でどなたのものかわかるようにしていたんです。

*6 日本刀の鞘(さや)に装着して用いる紐

利休さんがそれをお茶の世界に取り込んだのが約束真田紐です。

表千家(おもてせんけ)、裏千家(うらせんけ)、武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)*7。それぞれに紐の柄が決まっています。

本家の表千家は無地。お釜師*8さんのように重たいものを作る方は真ん中の線を太く作ることによって重い物が入っている注意を則す。

「重いものが入っているから注意しなさい」という意味で、蔵の中でどれが重たいかがわかるようにしてある。

*7 千利休が発端となり始まった茶道流派

*8 お茶の湯釜を作る職人

別の茶道流派の藪内家(やぶのうちけ)の紐は黒に白で非常にシンプルですが、黒は武士の束帯(そくたい)*9の色。真ん中の白線は、切腹する時に介錯(かいしゃく)*10の刀を振り下ろすと見える白い残像なんです。

*9 平安時代以降の公家男子および天皇の正装

*10 切腹人の苦痛を長引かせないよう、腹に刀を突き刺した瞬間に首を斬り落とす行為

お茶席の中にいる間は安全だけれど、一歩出たらいつなくなるかわからない。だからこの中にいる間は一生懸命お茶をしなさいよ、と後世に伝えておられる。

──当時は紐に意味が込められていたんですね。

真田紐は圧縮して織るので、柄として見えているのは縦糸だけ。横糸は見えません。だから横糸に違う色を仕込んでおける。

房を作る時にその色が出てくれば本物、出なければ偽物とわかるようにしてあったり、白く見えるところが実は薄いピンクとブルーの段々模様だったり。暗号みたいなものが入っているんです。

結び方にも右方結び、左方結びなどがあって、忍者が中身をすり替えたり毒を入れたりして、結び直しても正しく結べない。誰か開けたということがわかる。今で言うと紐の柄がID、結び方がパスワードです。

──時代背景が昔の映画や大河ドラマを観ていて、紐に違和感を感じることもありそうです。

紐の結びの違いに気づくことはあります。

例えば、映画「利休にたずねよ」には紐のついた箱が並んでいる描写があるのですが、作中に登場していない方々の紐が箱についていたり。去年の大河では平安時代なのに利休箱が置いてあったり。

大河に関してはSNSで「あれ組紐じゃないとね」と書いたら、途中から組紐に変わったんです。よかったと思ったんですけど、箱の下に真田紐用の紐穴がついたままで。なかなか僕らは映画を楽しめないんですよ(笑)