焼却炉に、もう一度火を灯す|燃やし、蒸し、めぐる。やんばるの森に宿る“循環”の思想──BUNA SAUNA・幸野志勇

沖縄・やんばるの森の奥、かつて子どもたちの声が響いた廃校(旧喜如嘉小学校)の焼却炉に、もう一度火を灯した男がいる。BUNA SAUNA主宰・幸野志勇。日々の喧騒に疲弊した彼は、サウナで再生の熱に出会い、人生に必要なシステムとしてのサウナ作りを決意する。燃やし、蒸し、めぐる─自然を中心にまわるBUNA SAUNA循環の哲学とは。

幸野志勇さん

1982年生まれ。岩手県出身。2001年から東京でミュージシャンとして活動しつつ、田んぼを耕す。 2011年3月に沖縄移住。2012年、沖縄にてデザイン事務所を設立。2023年8月にBUNA SAUNAスタート。

(※記事内容は取材当時の情報です)

#1 廃校の焼却炉に、再び火を灯す

審査員から志願者へ。BUNA SAUNA、運命の序章

―― BUNA SAUNAを始めようと思ったきっかけや理由を教えていただけますか?
ここ(旧喜如嘉小学校)が廃校になったのは、今から9年前です。数年後、役場の方から「この廃校を活用してみませんか」と声をかけられたんです。最初の公募があったのは、5〜6年前ですね。

面白いのが、その第1回の選考委員会に、僕は審査する側のデザイナーとして参加していたんです。

―― 審査員だったんですね。どのような経緯で応募する側に?
そうなんです。某有名企業も応募していて、役場の方や有識者たちと一緒に「どう思いますか」と意見を出していました。

デザイナーの視点から「こうですね」と採点もしながら。最終的に1社が選ばれたんですが、いろいろあってその話は流れてしまって。

その後、村の人たちから「喜如嘉小学校ってどうなったの?」と聞かれるようになり、「また活用プロジェクトをやるらしい」と。

それで仲間たちと「じゃあ今度は自分たちで面白いものを作ろう」と話し、今度は審査される側として応募することにしました。

―― その時点では、もうサウナをやると決めていたんですか?
いえ、まったく決めていませんでした。

「一緒にやろう」と声をかけ合って、まずはブランディングから始めたんです。どういう世界観にするか、どんなことをしたいのか。

お金のためというより、「いいものを一緒に作りたい」という気持ちでした。僕自身もほとんど無償に近い形で、ロゴを作ったり、コンセプトの絵を描いたり。ロゴがあるとプレゼン資料の説得力も増しますからね。

4人くらいのチームで毎日「こうしよう、ああしよう」と話し合いながら進めて、今度は志願者としてプレゼン。それが高く評価されて、「よっしゃ、取れた!」となった。そこから始まりました。

#2 「これだ」ーサウナで開眼した“人生のシステム”

限界の中で出会った、再生の熱とは

―― サウナという具体的なアイデアは、どのタイミングで生まれたのでしょう?
プロジェクトが始まって「さて、何をやろうか」と話していたのが3年ほど前です。当時、僕は本業のデザイン事務所がピークの忙しさで、もう本当に限界寸前でした。

福岡に出張していたとき、心身ともに疲弊していて、「俺、こんなためにヤンバルに来たんじゃないよな」と思っていたんです。

―― 心身ともに、かなり追い詰められていたんですね。
ええ。そんな時、宿の近くに「ウェルビー福岡」という有名なサウナがあると聞いて。正直、サウナには全然詳しくなかったけれど、とにかく入ってみようと。

そのサウナで過ごした夜、寝転んだ瞬間に──開眼したんです。「なんだこれ、やばい。これだ」と。

体の奥から何かが再起動するような感覚で、「これはもう、人生に必要なシステムだ」と確信しました。

―― 「人生に必要なシステム」。この感動がサウナに繋がるんですね。
はい。すぐ沖縄に戻って、妻に「家にサウナを作る」と言ったんです。でも「嫌だ、家に裸の人が来るなんて」と即答で拒否されまして(笑)。そりゃそうですよね。

ただ、もう僕の中では“サウナなしの人生はありえない”状態になっていた。そんな時に、仲間と廃校を見て回っていて、この焼却炉の跡地を見た瞬間に「ここだ」と直感したんです。

誰も使う予定のなかった場所に、「ここ、貸してくれない?サウナやるから」と。

それが3年前。そこからすぐ金融機関に行って資金を借りて、1年半ほどで形にしました。まさに即行動。そこから一気にBUNA SAUNAが生まれました。

#3 コンセプトは、ない。

やんばるの風とハーブが導く“感覚のサウナ”

―― サウナのコンセプトやこだわりはどういうところにありますか?
正直に言うと、「コンセプトを作ろう」と考えたことはないんです。ただ、最初から「やるなら植物を使うだろうな」という感覚はありました。

奇をてらうわけでもなく、これまで“農や自然や植物”と向き合って生きてきたから、やるなら絶対に植物と共にあるサウナになるだろう、と。

たとえばゲットウ(ショウガ科のハーブ)があるし──もう感覚的に「地のものを使う」と決まっていたんです。

―― 地のものを使う、というのは。
この土地にはたくさんのハーブが自生しています。だったらそれを使えばいい。お金もかからないし、持続可能だし。

食べ物と同じで、地のものが身体を作るように、その土地の香りや植物で整うのが自然だと思うんです。

リトアニアやフィンランドのサウナ文化を調べたとき、あちらでは白樺やライムギを使っている。

ならば沖縄はゲットウだろう、と。文化をトレースしつつ、この地の風土に根ざした形で再解釈している感じですね。

―― 空間づくりで意識されたことはありますか?

まず最初に見えたのは、「窓の向こうにトックリキワタの木が見える」絵でした。そこから空間設計を始めました。

外気浴は個室ではなく、やんばるの風をそのまま浴びられる半屋外に。ここに来た人たちが、自然の“生”を感じられるようにしました。

視覚的な要素も大切で、ワイルドな植物たちが本当に美しいんです。その景色を隠すなんて考えられなかったので、サウナ室の窓はすべて開け放っています。

中にはゲットウを飾っていて、香りだけでなく視覚的にも「サウナに来ている」と感じてもらえるようにしています。

―― こだわりがない、と仰っていましたが、すごくこだわられているように感じます。
(笑)たしかに、最近そう思いました。

先日、水風呂に炭を入れていて「なんで炭なんだ?」とふと思ったんです。そこで気づいたのが、やんばるでは昔、琉球王朝時代に炭づくりが盛んだった。無意識のうちにその歴史をトレースしたかったんだな、と。

その瞬間に「俺、けっこうこだわってるな」と。ようやく自覚しました(笑)。

#4 木が中心だから、お客さんを断ることもある

“循環”という哲学と、綺麗事への葛藤

――自然や地のものを使うという考え方の根本には、どんな思いがあるのでしょうか?

20年ほど前、初めて“自然農”というものにしっかり触れたとき、一番感動したのが田んぼだったんです。水の中を覗くと、そこはもう美しいビオトープになっていて。微生物やオタマジャクシが泳いで、水草がゆらいでいる。まるで水槽の中の世界がそのまま現実になったようで。

それを見た瞬間に、「これだ」と思いました。 “循環”という仕組みの美しさに、もうベタ惚れしてしまった。だからサウナでも、できるだけこの循環を意識するようにしています。

――循環、ですか。

たとえば、サウナで使うウィスク(体を叩く植物の束)を作るときも、化粧水を作るときも、「いっぱいあるから」といって取りすぎないようにしています。

「あ、このくらいでやめておこう」みたいな感覚。アイヌの人たちが鮭を獲るとき、次の世代のことを考える──あの考え方に近いですね。

僕はウィスク作りのことを「剪定」と呼んでいるんです。「この木は剪定が必要だな」と思ったときに、葉っぱを少しいただく。

逆に「もう剪定はいらない」と感じたら、お客さんの注文をお断りすることもあります。あくまで中心にあるのは“木”なんです。

――すごく幸野さんの精神性を表しているなと感じました。

でも、こういう話って、きれいに聞こえるんですよね。インタビューで話すのは正直ちょっと苦手です。「自然を大切にしている人」みたいに見られるのが、なんか違うなと思っていて。

僕にとっては、それは当たり前のことで、特別に意識してやっているわけじゃない。むしろ、こうして話すと“きれいごと”っぽくなってしまうのが苦しいんです。

――本心が“きれいごと”に見られてしまう葛藤。すごく分かります。

そうなんですよ。「俺、そんなきれいな人間じゃないんですよ」っていう前提で聞いてほしい。全然タバコも吸うし、お酒もけっこう飲むし(笑)。

文章になると、どうしても“整った人”みたいに書かれがちなんですけど、「いや、俺こんなんじゃねぇんだよな」って思う瞬間があるんです。

地球環境を守りたいとか、そういう活動をしているわけでもない。ただ、自分の手の届く範囲の中で、誠実にやっているだけ。

肉も魚も大好きです。でも、その命をいただくときの感謝の気持ちは、相当なものだと思っています。

難しいですよね、人間って。矛盾もあるし、揺らぎもある。だからこそ面白いんだと思います。

#5 デバイスを置き、感覚をひらく装置として

“普及”ではなく、沖縄のサウナを静かに楽しんで欲しい

―― ここで体験してほしいことはどんなことでしょう。

今って、みんな忙しいし、情報も多いじゃないですか。デバイスを手放せない人も多い。サウナって、強制的にデバイスから離れるシステムだと思うんです。

それに、サウナは強制的に裸になる。個人が普段は感じられない感覚が、ふっと戻ってくる。少しでも“第六感”みたいなものが、花開ければいいな、って。

正直に言うと、サウナを普及させたいとか、そういう気持ちは1ミリもないんです。

「フェス」「イベント」のように、ただ純粋に沖縄のこのサウナを楽しんでほしいと思います。

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